F-104Jは、石川県航空プラザ(小松市)へ行けば、実機を見ることができる。
このF-104とは、米国ロッキード社の天才設計士クラレンス.L.ジョンソンが、音速の2倍(マッハ2)を目指して手掛けた戦闘機であり、愛称はスターファイター(Starfighter)である。
第2世代ジェット戦闘機であり、マッハ2クラスのジェット戦闘機としては、米国初である。
F-104Jの側面とコックピット | ||
全長は16.7m(F-104機首先端の速度を測る装置であるピトー管を除く)、全幅は6.69m、全高は4.11m、最高速度マッハ2.2、最大離陸重量は12,490kgである。
初飛行は1954年で、米空軍で1958年から採用されたが、1959年のF106の登場により、短い期間の採用であった。でも、冷戦下で、日本、台湾、西ドイツ及びイタリア等世界15カ国で使われた。
西ドイツでは、悪天候時に事故が多発し、パイロットの死亡が相次ぎ、日本で今問題になっているオスプレイ同様に未亡人製造機と呼ばれた。
F-104Jの後方 | ||
日本の航空自衛隊では、FCS(火器管制装置)の一部を改修したF-104J、および複座の練習機F-104DJを採用した。迎撃戦闘機として1962年から約23年間防空任務についていた。
しかし、レーダー誘導ミサイルが使えない、対戦闘機戦闘に適していないなどの問題点があり、時代の要求から後続のF-4EJファントム戦闘機に道を譲ることになった。
F-104Jの日本での愛称は「栄光」であるが、細い胴体に極端に小さな主翼という形状と三菱重工業がライセンス生産していたので、航空自衛隊では、「三菱鉛筆」とも呼ばれた。
私にとっては、子供の頃に小松空港(小松自衛隊)から飛び立つF-104Jを毎日のように目にしていたから懐かしい戦闘機である。